2012/03/12(月)自分の変曲点

東日本大震災のことを数日前から考えていたがうまくまとまらない.

結局,東日本大震災に遭遇して,私は以前よりも真剣に生きるようになったと思う.
それまでの私は,甘い考えがもっとたくさんあった気がするし,
いつの間にかもっといろいろなことを諦めていた.もっと自分にも他人にも無関心だった.
それが変わってしまったのは,人間のちっぽけさ,命のはかなさ,人の素晴らしさ・醜さ
自分が生きていることが如何に幸福であるかなどを再認識したからだろう.
そして,これらを踏まえて思ったのだ.生者は一生懸命に生きねばならないということを.

東日本大震災は時代の変曲点たり得る出来事でもあったと考える.
それは多くの日本人が同じ災厄を経験し,命の危険を感じたと考えられるからだ.これは重要なことだと思う.
震災前は,60年以上続く「戦後」の時代だったといえる.
戦争を経験した世代が少なくなり,多くの人が共有できる「命の危険をもたらす出来事」がなくなっていた.
これはある意味で非常に幸福なことではあるが,同時に不幸なことでもある.
平和は素晴らしいが,人々は平和の中に長くとどまることで過去の戦災などの災厄を忘れどこかに油断や慢心を抱いていくのである.

今回の震災は多くの人が共有できる「命の危険をもたらす出来事」となり,
多くの人が気を引き締めるきっかけとなったはずだ.
心のどこかにこの体験が残ることで,少しずつ時代が動いていくのではないだろうか.

1年経っても震災や以前から存在した問題は山積したままだし,むしろ新しい問題が増え続けていく.

それは第一に1年程度で解決するような問題などほとんどないからだろう.
腰を据えてやるべき問題ばかりなのに,今の時代は成果を急ぎすぎているのだと思う.
楽観するわけではないが,着実に進んでいる部分もあるはずだ.

当然,問題は他人任せではいけない.将来日本を取り巻く環境・情勢はますます悪くなる.
日本を可能な限り良い方向へ持って行くためには,
各個人が考え,悩み,もがきながら対策を行いつつ進んでいくほかない.
生き残るために日本人は考え続けなければならない.
考えるのをやめたら,人は死んだのと同じだと思うし,何もなせないまま死んでいくのだと思う.
そんなことを震災をきっかけにまた考えるようになった.

今私がすべきことは,一生懸命に生きること.
仕事も私事も全力で取り組んで,考え悩み続け,動き続けること.
前に進んでいくことだろう.